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トラウマとミュージシャン エリッククラプトン ジミヘンドリクス

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トラウマとミュージシャン

エリッククラプトン
レイラ


エリックの幼少期

シリーズ-1
クラプトンと音楽そして心理療法
ブルースの魂を求めて彼ほど多くのブルースメン
と共演した白人アーティストはいないかもしれませんね
少しでも、バンドにポップス色が見え始めるとすぐにバンド
を去ったほどブルースそのものだったのです
ブルース 黒人の苦悩の人生の魂の表現イコール
自分の苦しい生い立ち、社会からのべっ視そうした
部分がぴったりとブルースの表現と合致したのでは
ないかと私は感じています。
トラウマを抱えているミュージシャンは沢山おられます
その過程で表現する音や歌詞がストレートに心に響き
共有と受容を促す作用となると感じています

彼が回復に至った心理療法と現在の薬物リハビリセンター
クロスロードまで自分の視点で書いていきたいと
思っているので、よかったら読んでくださいね!

<ブルースとともに歩んだ人生>
 エリック・クラプトンの人生は、苦難に満ちた旅を思わせます。それは、「ブルースの魂を求める旅」であり、「恋焦がれる女性を追い求める旅」、「どん底の人生からはい上がる旅」でもあります。彼の人生は、多くのミュージシャンや何人かの美しい女性たちとの出会いと別れの繰り替えしでもありました。だからこそ、彼が生みだした音楽には、常にその時々の彼の思いが込められ、それが多くの人々の心を打ってきたのでしょう。
 かつては、多くのファンが「いとしのレイラ」に涙しました。最近では、「チェンジ・ザ・ワールド」に胸うたれ、ファンになった人も多いでしょう。
 彼ほどミュージシャンとしてのテクニックだけでなく、一人の人間としての魅力でファンを引きつけてきたアーティストも珍しいかもしれません。それは、ブルースの先輩たちの境地に達しようと苦闘する姿や恋の苦しみを歌に込めたその姿が、多くのファンの心を打ったからです。そこには、人生に苦しむ人間の姿があります。そして、それこそが彼が追い求めていた「ブルースの真実」だったのです。

<苦しみの人生の始まり>
 エリック・クラプトンの人生の苦しみの原点は、その出生の秘密にありました。彼は、母親であるパトリシア・モリー・クラプトンがイギリスに駐留していたカナダの兵隊との間につくった子供でした。しかし、二人は結局結婚せず、母親は別の男性とドイツで結婚してしまい、エリックは祖父母のもとに残されました。(この生い立ちは、同じように両親によって叔母に預けられて育ったジョン・レノンの子供時代とよく似ています)彼は、この事実を隠そうとする家族とそのことで自分を見下す社会への怒りを胸に青春時代を過ごすことになりました。そしてその気持ちが、当時若者の怒りの表現手段でもあったロックン・ロールという音楽へと彼を向かわせ、「ロックン・ロールの根はブルースにある」というレコードに書かれていた言葉との出会いによって、サニー・ボーイ・ウィリアムソンやバディ・ガイを経由して、ロバート・ジョンソンへとのめり込む「ブルースの旅」へと出発するきっかけになったのです。

<ブルースの魂を求めて>
 こうして、クラプトンはブルースの求道者としての道を歩み始め、多くのブルース・バンドを渡り歩くことになります。ルースターズ、ケイシー・ジョーンズ&エンジニアーズ、ヤードバーズ、ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ、クリーム、ブラインド・フェイス、デラニー&ボニー、デレク&ザ・ドミノスなど。当時の彼は、バンドがブルース路線からはずれることを認めず、ちょっとでもポップス路線に走ったり、ジャズなど他の音楽の要素を導入したりすると、すぐにバンドを去ってしまいました。

<ブルースの神々との出会い>
 こうして彼はブルースの求道者としての道を歩みながら、何人もの偉大なブルースの神々と共演する機会を得ました。フレディー・キング、サニー・ボーイ・ウィリアムソン、マディー・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、バディ・ガイなど、彼ほどブルースマンたちと共演した白人アーティストは、たぶん他にはいないでしょう。彼は、ブルースの伝説を生で見ることのできた貴重な生き証人でもあるのです。

<いとしのレイラを求めて>
 クラプトンとビートルズのジョージ・ハリスン、そしてジョージの妻だったパティー・ボイドとの三角関係は、1970年に「いとしのレイラ」という永遠の名曲を生んだことで、ロック界で最も有名な恋の物語となりました。
 この失恋の痛手により、クラプトンはヘロイン中毒の泥沼にはまってしまいます。そこへ追い打ちをかけるようにジミ・ヘンドリックスの麻薬による死亡が伝えられ、彼はいよいよその地獄から抜け出せなくなってしまいます。彼は、ほぼ3年近くいっさいの演奏活動から遠ざかってしまいました。この時、もしザ・フーのピート・タウンゼントが彼を助け出しにクラプトンの別荘を訪れていなければ、たぶんクラプトンは80年代まで生き続けることはできなかったはずです。

<安息の地を求めて>
 1974年発表の「461オーシャン・ブールバード」から、クラプトンの復活劇は始まります。このアルバムで、彼はレゲエという新しいサウンドと出会っています。ボブ・マーリーのカバー曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の大ヒットは、レゲエの存在を世界中に知らしめる重要な役目を果たし、次の作品「安息の地を求めて」(1975年発表)では、レゲエの本場ジャマイカでの録音を敢行、ウェイラーズのメンバーでもあったピーター・トッシュとの共演も実現しました。続く作品「スロー・ハンド」(1977年)「バックレス」(1978年)では、さらにそのリラックス度を増し(南部のベテラン・シンガー・ソングライター、「元祖レイドバック・ミュージシャン」J.J.ケールの影響が大きい)、そんなサウンドを指す言葉、「レイドバック・サウンド」は、流行後ともなりました。クラプトンは、ジョージ・ハリスンとの離婚が成立したパティ・ボイドとついに結婚し、「ブルースとの絆」はついに断ち切れたかとも思われました。しかし、彼の人生とブルースは、そう簡単に断ち切れるものではありませんでした。ついに思いを成し遂げたはずの、パティ・ボイドとの結婚も結局長くは続かなかったのです。今度は彼はアルコール中毒との闘いをするはめになってしまいます。

<復活、そしてブルースとの折り合い>
 1989年「ジャーニーマン」で、再びクラプトンは、ブルースとR&Bの世界に帰ってきました。しかし、その作品は今までよりずっと明るく希望に満ちたものでした。彼の得た心の平安は明らかでした。続いて発表されたアルバム1992年発表の「アンプラグド」は、大ヒットアルバムとなっただけでなく、その後しばらく音楽業界に「アンプラグド・ブーム」(アコースティック楽器による録音)を巻き起こすことになります。さらにその大ヒットのご褒美として、クラプトンには以前からの夢だったブルース・ナンバーのみのアルバム「フロム・ザ・クレードル」を制作するチャンスが与えられました。苦節50年クラプトンはついにブルースとの折り合いをつけたのかもしれません。

<男が惚れる男>
 クラプトンはブルースという音楽の枠を越えて、実に多くのミュージシャンとの交流を行ってきました。ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックス、J.J.ケール、ジョージ・ハリソン、デュアン・オールマン、ボブ・マーリー、ロニー・レイン、レオン・ラッセル、ロバート・クレイ、ピート・タウンゼント、ザ・バンドなど、たぶん彼は、「男が惚れる男」の典型なのでしょう。そういう男に限って、女性とは上手く行かないもの。だからこそ、彼はあんないい男でありながら、あんなに素晴らしいギタリストでありながら、恋に苦しみ、そこからあれだけ素晴らしいブルース・ナンバーを生みだしてきたのかもしれません?
 現在交際中と言われるシュリル・クロウとの関係がもし上手く行くとしたら、それは二人が男と女ではなく、優れたギタリスト仲間としての関係だからだと僕は勝手に思いたい。(結局、彼は別の女性と結婚したようです。その方が良かったのでしょう・・・2003年1月時点の話しですが)

1993年から1997年まで、薬物・アルコール依存者の治療センター「クラウズ・ハウス」のディレクター、役員を務めた。1994年から1999年まで、ケミカル・ディペンデンシー・センターの役員を務めた。この二つの組織は、2007年にAction on Addictionに統合された。
1998年、カリブ海のアンティグアにクロスロード・センターを設立。薬物とアルコール依存症者の回復を助けるための施設である。この施設への募金を募るために、クロスロード・ギター・フェスティバルを2004年、2007年、2010年、2013年に開催した。

エリッククラプトントラウマからの回復の道
私の自尊心の低さが全ての選択を支配していた、、
そう語ったエリックは、音楽、12ステップ、カウンセリング
人々の愛情によって回復して行ったと思う
54歳の頃競争心、比較思考に差配されることのない
自分が形成されていたと述べています
そして62歳の頃でも12ステップのミーティングを中心に回復中の人間と接触するようにしていると述べています
そしてクロスロードセンターの設立、、
彼いわく、この治療センターの件を先に進めると決めたのは、自分の下した初めての決断で実に爽快だったといっています
これまでの私の女性関係による傷を癒すために、カリブ海は人生のプレッシャーを完全に捨てて、風景に溶け込める地球上の唯一の場所であると述べています、、
このセンターの資金集めのため100本のギターをオークションにかけたことは有名な話、、
私は素直でいるために、他の人が素直になる助けをする、、
これは今でも私の人生を支配している中心的原則であると語っています、、
友人、セラピスト、音楽、絵、デザイナー,真の伴侶、12ステップ、神、子供、自然、、他の人のために自分を与える事、
こうした全ての要素が過去の幼少期のトラウマ、それにまつわる薬物、アルコール、女性依存から癒しと回復を彼に与えていったものと私は感じています、、
クロスロードで最終回を、、
— 場所: カウンセリング音楽カフェ自由の子

Eric Clapton-Cream-Crossroad
YOUTUBE.COM

左がエリック  右  ジョージ


自由の子 旅の途中で
テーマ:トラウマとミュージッシャン
https://youtu.be/g69EWScWE0U
シリーズ-2
エリッククラプトン アルコール依存症 薬物中毒 からの回復
彼が、ヘロイン、アルコール依存症に苦しんでいたことは
多くの人が知っていると思います
幼少期のトラウマが関係してのアデクションであったのでしょう
ミュージシャン特有の、、と方付けるのは簡単ですが、、
彼の伝記の中にこんなエピソードが書かれています
自分のために、ジャニー、マリンゴという1つのキャラを
作ったとあり、ジャニーは優しくも向こう見ず男、自分の邪魔
をするものは誰でも蹴っ飛ばして行く少年
周囲を取り巻く状況に耐えられなくなると、私はジャニー
のいる空想の世界に逃げ込み、嵐が過ぎるまでそこにいた
空想の中で私と一緒にどこにでも行く、ブッシュブランチ
という名の小さな馬の友達を作りだした
ジャニーは時には魔法のようにカーボーイに姿を変え
ブッシュブランチに飛び乗り夕日の中を走り去ってゆく
こともある、、同時に私は取りつかれたように絵を
書き始めたと書いています
これはすでに彼のトラウマゆえの苦しみゆえに小さい頃
から現実逃避し、何かにアデクションして生きて行く
という型の始まりですね、、多くの心の傷を抱えている方達
に共通の生き残るための術です
後に、ドラック、アルコール、女性依存になったとしても
不思議ではないですね、、
ただ彼はアーティストとしてその時代、時代、そのいろんな
感情を音としてギターで表現することができた方であるということ
です
今日は私の好きな曲 プレゼンスオブザロードで締めくくりたいと
思います 私は間奏の最後のギターフレーズに神を切に求める
切ないクラプトンの気持ち、、願い、希望みたいなものを感じます

URL




27歳で散った才能!
と時を過ごしたジミヘンの苦悩、、
母ルシールは17歳の若さでヘンドリックスを産んだが、遊び好きで家庭を顧みないところがあったといわれ、幼いヘンドリックスを置いて出奔し、数年後に亡くなっている
母ルシールが出奔してしまったため、ヘンドリックスはルシールの姉夫婦の元で育てられていたという
生い立ちにおいて機能不全家庭の影響をしっかり受けています
ヘンドリックスはノラからインディアンの昔話を聞かされるのと同時に、居留地で希望のない生活を送るインディアンたちの姿を目の当たりにしていたという(ヘンドリックスの談話)
彼の歴史の中での表現を共有して頂きたい、、
今日の1曲 亡きルシールが夢に現れたことから生まれたとされる
名曲「Angel」

Jimi Hendrix Angel tour and tribute memorial video
Visited Hendrix memorial, found cool version of Angel. Yes I am that much of a Hendrix fan. In case you live far away, I posted Hendrix memorial grave site, ...
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